人との違いを楽しむためのアート
柴山:みなさん、こんにちは。
今週からは、日本のアートと教育をテーマに、お話して参りたいと思います。
沢辺: はい。
アートと教育がテーマということですが、本日は、どのようなことをお話いただけるのでしょうか?
柴山:はい。
本日は、子供のアート教育の中でも、初等教育についてお話したいと思います。
皆さんもご経験があるかと思うのですが、幼稚園や小学校で、図画工作という授業がありましたよね。どのようなことをされたか、覚えていらっしゃいますか?
沢辺:そうですね。うっすらとは、覚えています。
柴山: そうですか。うっすらとですか。
結構よく聞くことは、通信簿の図画工作で5を取ろうとすると、先生が指示した通り、見たものと同じように描かなければいけない、という考え方があったということです。
沢辺:確かに、そういうことはあったかもしれないですね。
柴山:ええ。
人の顔とか、風景画、いわゆる写生ですかね。そうしたことを上手く描く、あるいは良い成績を取るように描くということは、対象物と同じように描く、ということだと思っていませんでしたか?
同じように描く、ということが良い成績を取ることの秘訣、と記憶していらっしゃる方もおられるかと思います。
ただ、こうしたことは、アートの教育としては、個人的には非常にまずいのではないかと思っています。
沢辺: といいますと?
柴山:ええ。
アートというのは、創造性を育むこと、そして多様性を学ぶこと、多様な人々の考え方について学ぶこと、寛容性を持つこと、どうして人は自分と違う考え方を持つのだろうということを考える、そうした思考力を鍛える上での、非常に良いトレーニングになるはずだと僕は思っています。
沢辺:なるほど。
柴山:はい。
日本の図画工作は、画一的な芸術教育になりがちではないかと思います。そして、こうした画一的な芸術教育が、多様性や創造性を育むことを阻害しているのではいかと、私自身は強く思っています。
海外に行ってみると、よく見かける光景として、子供たちが先生と一緒に美術館で絵を見て、子供たちが絵を描いていることがあります。
先生はある絵と全く同じように描きなさいと子供達に指導しているわけでは決してないんですね。
その絵を見てどのようなことを感じたのか、そうした考えを、個々人好きに描いていいということでやっているんですね。
沢辺:楽しそうですね。
柴山:はい。
つまり、自分の考えや感情を表現する方法を、アートを通じて学んでいるわけです。そうした中で子供達も、人と同じことはやりたくない、っていう意気込みの子供達も生まれてきます。
また先生側にも、見た通りと同じように描けない子供達の作品を、個性として認めて、それでもいいんだよ、と認めるという姿勢が求められますし、日本には、そうした相対的な教育がもっと必要なのではないかなと思っています。
沢辺:ありがとうございました。
さて、来週は、どのようなお話になりますか?
柴山:はい。
来週もアートと教育をテーマに、中学、高校、大学、社会人と、順番にお話してまいりたいと思います。
沢辺:Power of Art、来週もお楽しみに!