· 

アートと教育②

 

 

グローバル社会にこそ必要なアート

 

 

柴山:みなさん、こんにちは。オークショニアの柴山哲治です。

今年4月よりお送りして参りましたPower of Artですが、実は、今月が最終月となります。

今回は、前回に引き続きアートと教育をテーマにお話して参ります。

 

 

沢辺: はい。

宜しくお願い致します。

 

 

柴山:本日は、先週から少し学年が上がりますね。

先週は小学校のお話をしましたが、今日お話するのは、中等教育あたりについての美術教育についてです。

 

 

沢辺:はい。

 

 

柴山: 実はですね、90年代から比較すると、美術の授業時間というのは、30%近く削減されているそうです。

 

 

沢辺:そんなに削減されているんですか。

 

 

柴山:ええ。

これはやはり、受験の影響だと思います。

美術、スポーツもそうかもしれませんが、受験科目には入っていない。よって削減されるということがあるのかと思います。

ただ、私個人的にはですね、こうした動きは、まったく世界から逆行しているように思えます。

 

 

沢辺: といいますと? 

 

 

柴山:はい。

前回もお伝えしましたが、美術というのは、創造性を育んだり、多様な考え方に対する許容であったり、どうして別の人が別の考え方をするのかということを、考えてみるためのものだと思うんですね。

数学の定理のように、定理を証明するということだけで、人間生きて行くわけでもありません。

右脳左脳がそれぞれあるように、理論的思考と直感的思考のバランスがあってこそ、人間は人間らしくなるのだと思います。

 

 

沢辺:ええ。

 

 

柴山:小学校では図画工作の時間というのは、どうしても描く、作ることに偏重しがちだと思います。

そうした中で、描くのが苦手という人は、図画工作や美術が嫌いになってしまうこともありますよね。

 

 

沢辺:確かにそうですね。

 

 

柴山:ええ。

私は、子供達が美術を嫌いにならないようにするためにも、授業の評価基準が、絵が上手い下手だけではいけないと思います。

もちろん作品を作りたい人も、作りたくない人もいるわけです。運動で得手、不得手があるのと一緒ですよね。

なので、作品を作ることだけに重きを置くのではなく、もう一つ重要なのは、批評する力をつけることだと思います。

つまり、なぜ同じものを見ても、人によって制作するものが大きく違うんだろうということ、そうした「なぜそうなるのか」という疑問を持って、考えてみることが大事だと思います。

 

 

沢辺:なるほど。

 

 

柴山:ええ。

そうした問いに、答えなどは無いわけですけれども、それは思考のトレーニングとなるわけです。

美術や図画工作を通じて、思考のトレーニングするということが、これから社会が益々グローバル化していく中で重要となります。

私たち日本人は、これから先、色々なバックグラウンドを持った民族の方々と更にお付き合いしていかなければなりませんよね。

そうした中で、なぜ誰かは自分と違うように考えるのだろうか、ということを思考することは、とても重要なことだと思うのです。

 

 

沢辺:そうですね。

 

 

柴山:はい。

だからこそ、今、美術教育は重要視されなくてはいけない。

日本という狭い社会の中だけで、教育における美術の重要性を考えて、その結果、削減していくということは、非常に問題なのではないかと思います。

 

 

沢辺:なるほど。

アートを上手く描くためだけの教育ではなく、批評したり、考えたり、思考のトレーニングを育てるためのアート、ということですね。 

 

 

柴山:そうですね。

 

 

沢辺:ありがとうございました。

では、来週はどのようなお話になりますか?

 

 

柴山:はい。

来週は高等教育についてお話いたします。高等教育と美術について、触れたいと思います。

 

 

沢辺:Power of Art、来週もお楽しみに!